こんばんは。Moonlight_Archieです。
「夏休み=読書」という図式がずっと私の頭にありまして。
小学生の頃は、「読書感想文」が必ず宿題になっていて、
あらかじめ決められた「課題図書」の中から選んで読む(読まされる)不自由感。
「なんで好きな本じゃいけないの?」とコドモながらに思ってました。
いつしかそれが「夏には本を読まなければいけない」という感覚に発展していった私。(笑)
※本当は好きな本でを選べる「自由図書」っていうカテゴリーがあったことを知ったのは
自分が親になってから。(T-T)
なにゆえ「課題図書」だったのか
私にとって読書感想文は、
「提出しないといけないもの」で、「選ばれて朝礼で賞状をもらうもの」とは縁がなかったからか、
『なにゆえ「課題図書」?』という謎は、ずいぶん経つまで解けませんでした。
私は知らないうちに「青少年読書感想文全国コンクール」というレースに
エントリーしていたわけですね。
(そんなのは初めからわかってましたよ。っていう方もたくさんいらっしゃるでしょうけど…笑)
→2022年の課題図書(小学生向け)はこちら
感覚と実際
「夏=読書」という感覚を持っているのならさぞたくさん本を読んできたのだろうと
お思いかもしれませんが、それは「年末=大掃除」なんていうのと同じで、
実際は、そうは思っているのだけれどなかなか実行できないまま……。
つまり、精神衛生上よくないアレです。
どんどん自分を追い込んで劣等感、敗北感に毎度たどり着くヤツ。(笑)
姿を消す書店
最近はネットで得たい情報やモノはほとんどすぐ手に入るし、
モノにしても実店舗で右往左往して探しまくった挙げ句に目当てのモノが見当たらない…
なんていう悲劇には見舞われなくなりました。
本の場合はとくにそうです。
目的の本がほしいときには、ほぼ確実に手に入るネットショップを利用。
そんなことがほぼ当たり前になっている今日この頃。
先日も街道沿いの古い書店が店をたたみました。
冊子の形態自体、存在意義を失いかけていることもあります。
街から書店がどんどん姿を消している事情は安易に想像できます。
「時代」なんですね。
「帯買い」「ジャケ買い」のすすめ
でも、本って「タイトル」とか「帯」とか「装幀」をみて、
衝動的に買ってしまうことってありませんか?音楽なら「ジャケ買い」。
私は、それで予想だにしなかった新しい世界と出会って
自分の志向や価値観を揺さぶられたことが何度もあります。
まぁ、その逆に期待はずれもたくさん経験しましたけれど。
今思えば、あてもなく書店をウロウロするのもけっして無駄な時間じゃなかったと思います。
で、そんな感覚が懐かしくて、このあいだたまたま降りた駅の改札の向かいにあった書店にふと足が向いたのでした。
その日の気分を楽しみたい
夏の文庫本キャンペーンのポスターにテンションをあげながら、
それまで読んだことのない作家だったり、ジャンルだったり、それこそ気分で手にしてみます。
文庫本の裏表紙にちょこっと記してある「紹介文」が
どれほどその日の自分に響いてくるかも決め手になったりして、そこが実におもしろい。
本も熱いうちに読め!
言わば気まぐれな衝動買いです。
書店を出るまでは盛り上がった気分も家に帰れば、
「え?なんでこんな本買ったんだろ。」と我に返ることもよくあることで、
ひょっともすると本を買ったことすら忘れてしまって、
数日後、サイドテーブルに書店の袋があるのを見つけて
「はて?」なんてこともあります。(単にボケはじめているのかも…)
ですからキモチの「旬」を逃さずに読みましょう。
「本も熱いうちに読め!」です。
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