もの書きさんにはそれぞれ自分のスタイル、クセがありますよね。
たとえば言葉の選び方だったり、接続詞の使い方だったり、世界観だったり、、、。
もの書きさんの数だけ調子があります。
表紙をめくって「さぁ読むぞ!」ってなったとき、
はたして今日はどんな言葉が向かってくるのか、身構えながら話の中に入っていきます。
書き手の言葉がなじんでくるまでの落ちつかなさ。
私は、この最序盤のぎこちない緊張感がたまらなく好きです。
それも本読みの楽しみのひとつだと思っています。
何の抵抗もなくすんなり本に入っていけた時は、
書き手と呼吸するリズムが同じように感じられて、シンパシー発動です。
そうでなくても、たいていは、
なんとなく自分をアジャストしながら時間はかけてでも著作の世界に入っていけるのですが、
まれに、どうしても言葉が(頭に)入ってこない文章と出くわすことがあって、
気がつくと同じところを何度も読もうとしていることがあります。
相性なのかな?
でも、それは、こっち(読み手)の受け皿の浅さのせいなんだと思うことにして、
丁寧に何度も言葉を捉えようと試みる私。
それでも、やっぱり、どうにもしっくりこない。中味が入ってこない。
なんてこと、ありませんか?
書き手から一気に突き放されたような、寂しさと絶望感にうちひしがれる私。
そんな時は、無理に読むことはせずに、しばらく書棚で寝かすことにしています。
数日過ごしてから、あらためて表紙をめくると、
あんなになじめなかったセンテンスに意外とスーッと入っていけたりするから不思議です。
それもまた本読みのおもしろいところです。
もちろん、やっぱりダメってこともありますけど…。
本読みとしてはまだまだですね。トホホ。
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